new08.11.15

[松浦香苗のノートブックvol.3 no.1 2007.3.18

我が家のクリスマスローズが
今年は例年より一段とたくさん
きれいに咲きました

四国の友人からいただきました。
今までこんなにジューシーで
甘いキンカンは食べたことがありません。

パリ市内の外出はバスで
旅先での交通手段はもっぱらバスを利用してます。
いつも滞在するホテルは,メトロの駅から歩いて5分くらい。
近くにバス停が2カ所あり、行き先が異なる3本のバスが通っていて、
外出はバスを乗り継ぎな がら街に出かけます。
バスの窓から街の景色をながめるのが楽しみで、
私のお気に入りの路線は、94、95、96番。
モンパルナスを発着駅にセーヌ川を越えて、
東西南北に向 かって走ってます。
気になるお店を見かけると、途中下車。
昨年の秋、小雨模様の昼下がり、
いつも乗る95番のバスでセ−ヌ川を渡っている時に、
突然明るくなり大きな虹が西の空いっぱいに広がりました。
エッフェ ル塔に架かった七色の虹の橋。
映画のひとこまのような景色に、出会えることもあります。


[松浦香苗のノートブックvol.2 no.7 2006.12.24

●我が家のクリスマス
今年はオレンジ色の実が
ついた宿り木を玄関に。
ロッキングチェアには、
アメリカンヴィンテージ
の紙製ベルを飾り、ディ
レクターズチェアのカバ
ーをグランマ・モーゼス
のクリスマス柄に替えま
した。椅子の上には、く
じ引き用のチャリティプ
レゼント。チャリティー
券は教室の皆さんが購入。
代金は‘国境なき医師団’
に寄付しました。

 

●その後のジダン
ドイツ・ワールドカップでの衝撃的な
幕切れから3ヶ月、10月のパリ、
サン・ラザール駅前の工事中の建物に
かけられた広告にジダンが写ってました。
6月のワールドカップ直前のパリは、
街もTVもジダン一色でした。強豪国揃いのなか、
苦戦が予想されたフランスを決勝戦まで
導いたのはジダンでしした。
サッカーボールならぬ地球儀を手にした
広告のなかのジダンは、優しくおだやかな
微笑みを浮かべてました。

●私の好きなパリの
ケーキ屋

星の数ほどに美味しい店が
あるパリのケーキ屋さんの
なかから1軒を選べと言わ
れたら、やっぱりサンジェ
ルマン・デプレにあるジェ
ラール・ミュロが好きで
す。迷ったあげく結局、ミ
ルフィィユとエクレア
)を買い
ます。

chocolate
[松浦香苗のノートブックvol.2 no.6 2006.12.3

上左・イタリア、シチリア島、モディカにあるチョコレートショップ、
“アンティカ・ドルチェリア・ボナユート”のチョコレート
)小さな缶入りのチョコ レートはペペロンチーニ入り。
唐辛子のピリっとした香りがほのかに漂う、なんとも不思議な味です。
中上・アンティカ・ドルチェリア・ボナユートで買い求めたチョコレート・リキュールとレモーネ。
上右・チョコレートショップ、アンティカ・ドルチェリア・ボナユートの、
クラッシックな白いキャップをかぶったユニフォーム姿のスタッフ。
下左・アメリカのチョコレートといえば
HERSHEY'S。幼い頃、始めてキスチョコを食べた時のことは、今も忘れません。
の3種類はアメリカ旅行の おみやげにいただきました。
真ん中の
2 枚は10月にハンガリーを旅行した時にブタペストのスーパーで買ったもの。
ブラックとミルク、レトロなイラストの包装 紙が可愛いい。
下右・フランス、バスク地方バイヨンヌの“ショコラ・カズナーウ”のバニラチョコレート。
ショコラ・ムスーはこれを削って作ります。
下両わき・毎年必ず顔を出す“メゾン・ド・ショコラ”の今年
10月のウインドディスプレー。

私もチョコレートには目がありません。旅に出かけると訪れるさきざきの町で、
チョコレートショップを探しては買い求めるのが楽しみです。
昨年、旅行した イタリア、シチリア島南東部の古い町モディカには、
16世紀にスペインから輸入された当時のまま、
バターやレシチンなどを使わない製法で作られた、
バニラ味とシナモン味の素朴なチョコレートがありました。
食べようとしたら、古くなったチョコレートのように表面が白っぽくなっていたので、
一瞬口にするのをためらいましたが、噛み締めるとカカオの味が口いっぱいに広がりました。
この春訪れた、フランス、バスク地方のバイヨンヌの町には、
フランスで最初にチョコレートが作られたというだけあって、
美味しいショコラティエがありました。名物の熱々のショコラムスーを飲ませる“サロン・ド・テ”は、
いつのぞいてみても混んでました。
25 年前、パリの“メゾン・ド・ショコラ”で始めてショコラを頼んだ時に、
どの銘柄にするかと聞かれ驚いたのを思いだします。意味が分らなくて理解する
のにしばらく時間がかかりました。コーヒーにキリマンジェロなどのブレンドがあるように、
ショコラにも生産地によってブレンドがあるのを、その時知りま した。
トロリと濃厚な味あいは、それまで飲んでいたショコラは何だったのと思うくらい、
まったく違ったものでした。
冷たい木枯らしのなか、歩き疲れたあと熱々のショコラを飲みながら過ごすひとときは、
ふかまる秋のパリの楽しみです。

[松浦香苗のノートブックvol.2 no.5 2006.9.19

8月、白馬の家に久しぶりに出かけたら、今年の梅雨は長く雨が多かったせいか、
本棚の本までかび臭くなってました。閉め切っていた窓をいっぱいに明けて 風を通し本を並べていたら、
50年も昔に愛読していた本が何冊も出てきました。
最近、復刻版も出版されているひまわり社の雑誌「それいゆ」、
「ジュニアそれいゆ」は私の手作りのルーツでした。
小学生の時から 2 ヶ月に一度の発売日を とても楽しみにしてました。
私がはじめて作ったキルトも、
写真下右の「ジュニアそれいゆ−増刊号」で紹介されてたヨーヨーキルトでした。
小学生の頃から作りはじめ、高校3年の時に ようやくシングルベットサイズくらいの大きさになりましたが、
その時には作り始めた頃のヨーヨーの布が色褪せてしまいました。
ジュニアそれいゆ」で活躍されていた松島啓介さんの「手芸集」は私の教科書でした。
人形をはじめ小物など、この本を見て幾つ作ったでしょうか。
分りやすく絵で説明した作り方頁で、小学生だった私がその絵を見ながら本格的な着せ替え人形が作れたのです。
実物大の型紙も作り方頁に納められ、今、見ても分 りやすいだけでなく、
レイアウトも色もおしゃれで感心してしまいます。

写真上左・秋元書房から出ていた20世紀始め、
アメリカの少女達の元気で溌剌とした学生生活を描いた青春小説。
セブンティーン」や「マドモワゼル」な どの雑誌を思わせる表紙が、今、見てもおしゃれで素敵です。
アメリカのテイーンエイジャー達のスクールライフが夢のように思え、ワクワクしながら読んでました。
1冊の裏表紙を見ると、1957年に発売され価格が220円。その下には地方価230円と小さく印刷されてました。
上右・小学生時代の私の手芸の先生であり教科書です。
下左・二色刷りの作り方頁の分りやすいことは、松島啓介さんの本に紹介されたどの作品にも共通してます。
今,見ても新鮮で作りたくなる作品が沢山あります。
下右私のパッチワークのスタートはこの見開きの頁でした。50年も昔になります。

notebook vol.3